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「盛岡つなぎ温泉病院との縁」(盛岡つなぎ温泉病院だより 2018年第49号)

 当院には月1回第2(時に第3)か第4火曜日午後東洋医学外来と当直で来ている。火曜日11時54分発はやぶさ13号で来て盛岡駅内の「南部いろり庵」で蕎麦や冷麺の昼食を摂り、夜は温泉に必ず入り、翌朝売店で朝食用のパンと三色串団子・小岩井牛乳・野菜ジュース購入して、7時36分発はやぶさ6号で仙台に帰り9時からのクリニック出勤に間に合うようにしている。この日程は月に2回火曜日夕方にある青葉区保健所での介護保険認定審査会の当番週によって決まる。

 いつ頃から当院と関わるようになったのか、昔の手帳を探して調べてみると、開業してから5年目の平成18年2月からで12年前のことである。そして当初は漢方外来のみで、当直もするようになったのは翌年の2月からであることが分かった。当時院長であった小西先生とは、東北大学病院時代第一内科感染免疫室で2年先輩後輩の間柄で、試験管洗いなど一緒にしながら実験や研究の仕方そしてスキーなど教えてもらったことが思い出される。還暦過ぎてから山登りを始めていて、小西先生とは平成26年7月岩手山、翌年7月秋田駒ケ岳に登っている。

 ところで、東洋医学への関心は、医学部専門課程1年の終わり頃、構内生協書籍部でふと目にした、長濱善夫著「東洋医学概説」を入手した頃からのように思う。特別漢方治療の恩恵を受けたとか(ただし喘息持ちの虚弱体質で親から勧められた養命酒をいやいや飲んだ経験はある)、近くに東洋医学関係の人がいたとかいうわけではなく、その頃の講義が何となく機械的に感じられ、西洋医学とは異なった体系を持つ東洋医学への漠然とした憧れみたいなものを持ったのであろう。その頃老荘思想にひかれていたことも加味していると思われる。学部4年頃、操体法の創始者である橋本敬三先生の所に数回見学に行ったことがある。その頃(昭和46年)7月25日付け朝日新聞で、ニクソン訪中に随行したニューヨークタイムズのレストン記者が虫垂炎手術後の不快感を鍼灸で一掃したという記事が報ぜられ、更に8月13日鍼麻酔について報道されて以来、日本全国に中国鍼ブームを招来した。47年卒業し東京の病院での2年間の初期研修を志したのも東洋医学の実際に触れる機会を得たいためであった。同愛記念病院で研修中、同年6月日本東洋医学会総会で日産玉川病院の鍼麻酔の発表を聞き、12月に代田・光藤先生を慕って玉川病院に移り、その関係で月1回御茶ノ水の三楽病院で行われていた矢数道明先生主宰の温知会にも出席した。玉川病院での鍼麻酔は耳鼻科の手術を中心に行われ、国立がんセンターにも出張して鍼麻酔をしたことが思い出される。玉川病院と関連のある千葉県佐倉(巨人軍長島選手の出身地)の佐倉厚生園で五十嵐先生のお灸の実験を手伝ううちに免疫学に興味を持ち、東洋医学を免疫学からアプロ―チしてみてはと思うようになって、49年母校の東北大学医学部第一内科に入局、滝嶋教授の了承も得て、ウサギを使ってお灸の免疫機能に及ぼす影響を実験し、その結果を51年ソウルで開催された第一次国際東洋医学学術大会で発表した。これは初めての海外旅行でもあった。滝嶋教授は鍼灸による気管支喘息の治療に非常な関心を持ち、宮城盲学校の渡辺一男先生の協力を得て当時開発されたばかりのアストグラフを用いて鍼灸の治療効果の客観的評価をし英文誌に論文発表している。しかし当時病室や外来で無断でこっそり漢方薬や鍼灸治療をして見つけられるとひどく叱られたものである。医師国家試験にも出題され、各医学部に講座を持つようになった現在の状況に隔世の感を抱いている今日この頃である。

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