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「私の震災体験」(仙台市医師会報 2011年12月号)

その時、3月11日午後2時46分巨大地震発生のときは、クリニックで診察中であった。これまで体験したことのない異常な強さと長さに驚きつつも、建物が崩壊することはないと確信できた後、この歴史的な揺れを記録しようとデジカメ動画を約3分間ほど作動させ撮影した。異常な揺れとともに、患者さんの恐怖に満ちた悲鳴、戸棚からの書類飛び出し・散乱、診察台上の液晶モニター転倒・破損、カルテ室の棚転倒・カルテ散乱(写真1)、待合室のパンフレット類散乱・額縁落下(写真2)、院長室の本棚・パソコン・テレビ転倒・書物散乱(写真3)などが記録されている。停電のため診療続行不能となり、暗くなるまで後片付けをして帰宅した。八幡町にある自宅の通電・通水は2日後で通常に近い生活に戻ったが、南吉成地区にあるクリニックの方は4日後通電、2週後通水、1ヵ月後都市ガス復旧ということで、回復は街中より遅れ勝ちであった、始めの1週間は午前中薬処方だけの診療で、1ヶ月間は暖房の不十分な寒い中での診療であった。しかも薬剤の供給不十分のため初めのうちは7日間処方、2週後に長期処方可能となり、3月30日から午後診療も開始し通常診療態勢となった。

写真1
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写真2-1
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写真2-2
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写真3-1
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写真3-2
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ガソリン不足が深刻であったが、3月15日3000円分のハイオクガソリン確保し、翌日名取にある実家と姉の家を訪問した。仙台東部道路じき西側に位置し堤防状になっている県道北側の実家のほうには少量の水のみで瓦礫はぜんぜん到来せず、通常の農作業可能の状態であった(写真4)。この地はもと初代県会議長であった増田繁幸の屋敷があって周りより少し高くなっているらしく、昔アイオン台風での名取川洪水でも被害がなかったという。しかし県道をはさんですぐ南側にある姉の家は、東部道路が高架になっていてその橋脚の間から漁船も含め大量の瓦礫が押し寄せ(写真5)、床下に真っ黒い泥を伴った浸水があった。畑・田んぼもヘドロに覆われ当分耕作不能の状態である。ところが、1ヵ月後の4月12日行ってみるとヘドロにもかかわらず屋敷内の水仙が健気に黄色い花を咲かせていたのが印象的であった(写真6)。また、地震で壊れた扁額の裏張りを剥がしてみたところ、明治29年頃の東ニ番丁尋常・高等小学校関連の教員俸給(写真7)・雇人料・修繕費・児童戒飭表(写真8)、大正2年頃の学校経費請求書、某綿店・呉服店の売掛帳などが発見され、現在、仙台市博物館で調査してもらっている。

写真4
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写真5
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写真6
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写真7
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写真8
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東部道路東側の閖上地区は壊滅状態で、特に親しかった閖上中学同級生の死亡報告に衝撃を受けた。彼を含め同級生10人程が犠牲になっている。1週後、名取市役所に行き死亡者一覧でその名前を確認した。避難所になっている名取文化会館や死体安置所になっている旧空港ボウルにも行き被害の状況を確認した(写真9)。

実家のブロック塀に亀裂が入り(写真10)、修復に270万円、除去だけで50万円掛かるという。屋根の瓦・玄関脇の壁落下、トイレのタイル壁亀裂などの被害もあり修復するかどうか迷っている状態である。というのは、誰も住んでは居ず、農地を貸している仙台天命塾の人たちが農作業の合い間に休養とるためや、健康法のひとつである真向法の実施、季節ごとのイベントなどに利用している程度であるからである。菩提寺である大聖寺にある墓石も当然の如く倒れていた(写真11)。

八幡の自宅の庭には亀裂が発生し(写真12)、土台にもわずかにクラックが入り地震保険から50万円下りることになった。また、外からは見えにくいが基礎・擁壁にも被害あるらしく業者によると地盤強化パイル打ち込みに250万円ほど掛かるという。しかし業者は忙しく工事がいつ始まるか不明とのことである。

写真9
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写真10
写真10
写真11
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写真12
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(仙台市青葉区・東西クリニック仙台・内科)

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