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「天命塾名取農場の試み」(仙台市医師会報 2009年5月号)

先に本誌2007年1月号の年賀状特集で次のようなことを書いた。

「1昨年父が85歳で亡くなって1600坪ほどの土地が残されました。東部道路名取インターの近くに位置しますが、その昔宮城県議会の初代議長であった増田繁幸の屋敷があったところです。この地は周りよりやや高くなっていて、昔台風で名取川が氾濫したときも水没しませんでした。増田繁幸は文政9(1826)年仙台藩執政増田繁育の三男として生まれ、文武に優れ、剣は北辰一刀流、軍学は北条・長沼二流を学び、青年時代の10年間は諸国を漂白し、勤皇の志士と交わり、病を得て帰郷の後、明治4年仙台藩大参事、一関県参事、磐井県令を歴任、名取郡高柳村に居を定め、閖上―増田間に新道を開設し地方振興に尽力、第七十七国立銀行の創立に参画し、明治12年から23年まで初代県会議長を勤め、のち衆議院議員、貴族院議員となり、明治29年71歳で没し、仙台・孝勝寺に葬られております。辞世は「うつせ身の我世に同じ今朝の霜夕を待たて消んと思へは」、戒名は「高柳院殿陶令日忠居士」、昭和10年その功績を顕彰して地元多賀神社境内に立派な頌徳碑が建てられています。実に清廉潔白の人で、その地位で財もなせたであろうに、死後に三万円の借財を残し、家具類や住居の一部を売却してその返済に充てたとのことです。高柳村に隠遁していた頃には農事試験を試み、養蚕、馬・鵞鳥の飼育、茶・葡萄・梨の栽培、焼土肥料、害虫駆除、馬耕などの農業改良に努め、また、現代に十分通用する共済福祉互助制度である「高柳村民契約会」なるものを創設しております。」

この土地を中山歯科の大久保直政先生が中心になっているNGO仙台天命塾に貸与し、生体エネルギー農法の実践の場となっている。貸与のきっかけは、平成19年5月、同級生の安保 徹先生の講演会後の懇親会で大久保先生と偶然話し合ってのことであった。農業専門家の高石健二さんの指導下、もとJRの大平 仁さんが中心になって、まず土作りから始め、大根、人参、枝豆、トウモロコシ、コカブ、チンゲン菜、胡瓜、白菜、ほうれん草、小松菜、春菊、トマト、茄子、牛蒡、ジャガイモ、南瓜、葱、玉葱、里芋、ピーマン、パプリカ、唐辛子、オクラ、インゲンなど色々なものに挑戦、特殊な生体エネルギーを付加した水および肥料を使用し農薬不要、連作可能な農業を実践している(写真1-4)。収穫されたものは会員に配布、将来販売して収益を上げることも計画している。天命塾は宇宙・自然の営みとともに生き、無農薬、医食同源、自給自足の理想郷実現を目指している。昔この地で増田繁幸が構想したものに相通ずるものがあり、その成功・発展を祈ってやまない次第である。

参考文献
名取市閖上郷土史研究会(岡崎一郎)編「閖上風土記」 小野晋平・発行 1977年
小野寺永幸・敬子著「彗星の維新政治家 増田繁幸の生涯」 (株)一関プリント社 1994年

(東西クリニック仙台院長)

写真1:農場全景
写真1:農場全景
写真2:農作業風景
写真2:農作業風景
写真3:屋敷内農園
写真3:屋敷内農園
写真4:天命塾の人々
写真4:天命塾の人々

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