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「名取市高柳・北畠家の日露戦争関連書簡」(仙台市医師会報 2008年8月)

日露戦争が終わって100年ほどになるが、平成18年10月ころ私の本家である名取市高柳・丹野家の土蔵の押入れの奥からその当時の書簡類が発見された。その中に名取市高柳・北畠家のものが含まれていた。、北畠家は、南朝の勤皇家・北畠親房(ちかふさ)の嫡男・顕家(あきいえ)の御落胤の流れと称し、陸奥守である顕家が眼病に罹った際、看病した寡婦との間に生まれた子・北畠出雲顕静(あききよ)がその先祖という。わが曽祖父・丹野甚助の妻さたが北畠家から嫁した関係からか、日露戦争に出征したその弟・善四郎(写真1)と兄・保治(写真2)との間に交わされた手紙が2通(①、②、写真3、4)ほど丹野家に残されていた。手紙①で保治が北畠顕家の後胤について言及している。やはり日露戦争に出征した、甚助の弟・清吉の書き込みがある「満州軍戦地図」(写真5)は図示されている日露両軍の配置から推測して明治38年3月頃の奉天会戦のものらしいが、地名・歪頭山に矢印して「此所は北畠少尉殿の凍営」と書き込みしてある。北畠少尉とは北畠善四郎のことで、善四郎は奉天会戦で名誉の負傷を受けたことが清吉の手紙③(写真6)で言及されている。後日、北畠家を訪問してこの負傷について尋ねると、臀部から大腿部にかけて貫通銃創を受けたということであった。

以下に解読した手紙文を提示する。

①兄(保治)→善四郎 (推定:明治37年)4月2日

日増春暖ニ相成候處尊体益御勇健皇國之為ニ御尽瘁の事恐悦此事ニ存候廣島發之者可き并封書正ニ拝讀御芳志之宮島土産相届キ父上去月廿六日御光来之節御渡し致し候拙宅ニテ毛頂戴致し候 御多忙之際ニ毛不拘御心付相成候段感謝々々五圓之為替毛相届申候洋服ハ折角督促致三十日ニ確ニ納付相濟申候右ニ付テハ平間君ニ御世話ニ相成申候松崎氏ノ分毛同様ニ御座候即チ送付ノ品ハ夏服弐着シャツ袴下各弐着帽子日覆弐個ナリ松崎氏ノ分ハ夏服壱着日覆壱ヶ御座候同氏ヨリハ廣島ヨリ端書頂戴仕候外何ノ御便り毛無之石塚ニテハ小生ヨリ代金受取呉レト言ハレ候由ナレ共送金ハ勿論手紙ダニナキ故困入申候偖テ本日田村郡ノ御宅へ向ケ送金ノ儀申送り候間同氏へ御面談ノ際ハ御話連被下度願上候宅ノ方毛何レ毛無事ニ候間御安心被下度 写真毛凡テ出来高柳へ届申候高柳ニテハ御父上ヲ始メ一同精進潔身貴殿ノ無事息災ヲ祈念致し居候間神明之加護御身ノ上ニ可有之殊ニ我家ハ御承知之通り我国無弐ノ勤皇家タル北畠顕家卿ノ後胤ナレバ遠祖ノ霊亦御身ノ武運ヲ祐介可申何事毛苦悶セズ身体ヲ大切ニシ天佑ニ依ル□□□□間敷唯□□□□臣民ノ本分ヲ尽サントノ覚悟専一ニ存候当地ハ未タ寒し定メテ御地毛寒カラン一昨日農学校ニテ証書授與式有之参り申候阿部清三郎毛助教諭ニナリ八拾俸ニ昇進セリ陸戦ノ捷報(小衝突)来り戦死者ノ号外アル毎ニ国民勇気百倍致し当時ハ市民ノ如キ最毛着実ニ各自ノ發分ニ励ミ居是ヲコソ大国民の態度ト申ベケレニ御座候親類共毛変り無之此頃諏訪ノ老叔母様来泊致サレ候小生ノ知人ニ御面會ニ候ハゝ宜敷御傳被下度候此後ハ時々御便り可申候先ハ御答旁略報迠如此ニ御座候怱々不備

四月二日
兄ヨリ
善四郎殿

②兄(保治)→善四郎 (推定:明治37年)7月14日

酷暑ニ次デ此頃一週間斗リ梅雨之様ニ可成る日々雨降ニ御座候久敷出張致居リ昨日栗原ヨリ帰来最近之尊翰二通拝見致し先以御無事御奉公之段慶賀々々是偏ニ天佑可可有之益御用心御奮励被下度願上候夏服并第二回追走品御受領被下候由誠ニ御賞詞ニ迠預リ難有存上候

飯岡軍曹へ毛御渡被下由御手数懸上候若生氏ノ事毛態々御通知被下辱存候同氏来宅之上ハ傳可申候鞄之儀ハ早速相頼み候間御承知被下度候先ノ従卒阪部岩助殿ノ父上ヨリ葬儀之□况詳細報導呉レマシタ中々盛式ニテアリシ由父上此頃相馬郡へ参ラレタル由母上生ノ留守中参ラレ一泊被致御話申し候由ニ御座候今回之従卒毛良キ人物ヲ得ラレ候由別封為替一日乍御手数御渡被下度候本日佐渡丸遭難者中村機関士帰省中ニ付(当市出身)ノ遭難談ヲ聞キ申候中々悲惨ノ談話ニテアリシ同人ハ同僚田手間殿ノ妻君ノ実弟ナリ河北新聞毎日送附事者同社へ約束致置候間御受領之上ハ御一報被下度願上候只今遼陽附近ノ小戦アリタル旨ノ号外出デタリ今回ハ是丈申上候御躰ハ幾重ニ毛御用心アレ家族一同高柳共無事御心配被下間敷候怱々拝具

七月十四日
兄ヨリ
北畠善四郎殿

③(差出人宛名不明、おそらく清吉→父・升吉)

前畧御めん下され度候豊助より御送附の河北新聞は三月七日迠ニ到着仕り候処有難久御礼申上候然る尓此の七日を相読仕り候へば此度の戦闘尓は北畠少尉殿尓名譽の負傷を成され候と有之候間實ニ驚き入り候北畠様ニは御通知有之候哉御伺ヒ候且又病傷は如何ニ御座候又多吉様の名譽の負傷被成候は承知仕り候

二伸

此度は増田町の勝田豪太郎様より東京朝日新聞を御送附下され候処何如なる次第尓て拙者の如き者ニ下され候哉若しも御家内様尓御病気尓ても有之其節ニ聞き

善四郎は名取郡東多賀村高柳(現・名取市高柳)の北畠家を引き継ぎ、東多賀村の信用販売利用組合の初代組合長などを歴任、兄・保治は仙台市北四番丁(現・青葉区上杉1丁目)に居住、同地にその子孫が現存している。

(東西クリニック仙台院長)

写真1:北畠善四郎
写真1:北畠善四郎
写真2:北畠保治
写真2:北畠保治
写真3:北畠善四郎書簡1
写真3:北畠善四郎書簡1
写真4:北畠善四郎書簡
写真4:北畠善四郎書簡
写真5:満州軍戦地図
写真5:満州軍戦地図
写真6:頼母子講帳1
写真6:清吉書簡

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