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横澤将監と国見・斎藤家の法華塔(仙台郷土研究第27巻2号 2002年12月)

当院に通院している患者さんから、その家の裏山にある「法華塔」(写真1)の銘文の解 読を依頼されたが、その中に、慶長遣欧使節の支倉常長が帰国する際、サン・ファン・バウティスタ号 でノビスパニア(メキシコ)のアカプルコまで彼を迎えに行った仙台藩士で切支丹の横澤将監の名が出 ていたので紹介したい。

その患者さんは斎藤さんといい、国見に古くから住んでいる名家である。「法華塔」には正徳四甲午 (1714年)の紀年銘があり、起草者は、伊達騒動で有名な烈士伊藤七十郎の甥の子で、松島瑞巌寺 中興の第7世となった名僧、性空である。銘文の拓本(写真2)の写し(家人の話では、昭和 28、9年頃三原良吉氏が書き写したという)のうち「横澤伊兵衛行完系傳」中に横澤将監の名があり 、横澤将監と斎藤家との関係を、「仙台人名大辞書」、「宮城県姓氏家系大辞典」、「私本 仙台藩士 事典」(増訂版)、「泉市誌」などで調べると以下のようである。

横澤家は、国分氏14世宗政(宗綱)の次子弥三郎である将監を祖とし、分家して横澤を名乗り、国 分実沢村立田館(現、寺岡6丁目)に居住、平士、511石取り、将監の嫡子左平治に子がなく病死、 将監娘婿古内義重の養女となった将監姪婿舟山善左衛門の娘の婿幸島(桑島)十次郎(小田原城主稲葉 美濃守の家臣)が継いで横澤伝左衛門庸範と称し、そのあと伊兵衛行完ー伝左衛門行長ー伊兵衛行寛( 古内義行次男)ー伊八郎行為(行篤、古内義清次男)ー音人行倫(橋本辰季次男)ー英記行高と継いだ 。田地、宮城郡高城手樽村。

横沢家と斎藤家の関係は、伊兵衛行完の弟吉三郎行業が斎藤家を継いだことに始まる。
その斎藤家は、藤原姓で、斎藤和泉守を祖とし、天正14年政宗の代に仕え、その跡を赤間半助が継い で不段組となったが慶長5年江戸で客死、その子重定は斎藤姓に復姓し、不断組に召し出されたのち平 士に進んだ。その跡は阿部常行の次男が継いで経定と称し、伊達忠宗、綱宗、綱村の三代に仕え、致仕 ののち安休と号した。本人に男子なく横澤田左右衛門三男吉三郎が跡を継ぎ、そのあと定盈(阿久津左 重次男)ー定行(浜田重常次男)ー静定(橋本善季三男)ー亮定ー定保ー一精ー一定と継ぎ、明治4年 に一精が名取郡前田村に住したという記録がある。

この前田の斎藤家と国見の斎藤家との関係であるが、国見の斎藤家の遡った除籍謄本では、当主が斎 藤興四郎で、長町・郡山の渡辺林吉の次男喜蔵が養子となり、荒巻の早坂権兵衛の長女しをと婚姻、長 男力治が明治4年、次男熊治が明治14年生まれ、となっている。それ以前の系図や過去帳はないとの ことで、直接関係を示す証拠は今のところ入手できていない。

銘文を写しと拓本の写真から自分なりに読んでみると以下のようになる。(誤りはご容赦願いま す)

法華塔銘弁序

此経曰醍醐上味一句一偈受持書写者超三悪道登九品台其説
経中白矣茲有横沢氏名伊兵衛諱行完得法号於光師智光禅師
曰玄安了挑其父庸範下野住氏幸嶋寛永十八年来 当家初旬
要山君后仕 義山公為古内伊賀壻継横沢名跡将至子今玄安
居士恒有信心平書諸経無慮数百軸蔵之他方名山國下神社且
至没函常謂妻子曰我在書寫中族臨終□為國祈安全正徳三年
九月朔日年六旬有病不医卒光病相侵之日妻子侑糜粥□箸七
不取只求念珠思欲念佛其他病苦交藤不知薬餌送之不諸只念
念々佛念心純一無雑也曰唯一堅密身一切塵中現正斯義也有
家子曰行長従父長孝念日積曰其母祥雲院守陽尼公請父之平
在所書諸経名號法華八軸並傳家供奉佛舎利三顆来在子仙城
之北山荒巻別野山頂築石壇々中蔵此経上立石記吏欽告之子
孫令知父之志時相此収也祝国祐氏之吉壌厥志可嘉尚此日行
長来謁請予余銘銘曰

惟斯一経 経中経王 依経依佛 天台説章 一採巻者
格百福祥 矧乎書寫 受持敬荘 茲鳩斯経 子為父蔵
又留舎利 暦干中箱 書者蔵者 功徳無量 謄者貶者
法楽無彊 乖居士願 國家安康 立孝子志 家世久長
唯頼眞實 感應霊彰 伏願山神 守護力昌 留此浮圖
永鎮山陽

維持時正徳第四甲午佛歓喜日
再住妙心現住燕山天嶺性空欽銘併書

孝子横澤傳左衛門行長立石

横沢伊兵衛行完系傳

横沢伊兵衛行完姓藤原下河辺庶流幸嶋弥右衛門行勝四代孫也
祖父幸嶋介右衛門庸宜生國下野相洲小田原城主稲葉美濃守正
明公臣也父曰傳右衛門庸範於江戸寛永十八年九月徴当家奉仕

要山公兼義山若時古内伊賀有養女嫁之傳右衛門令継横沢
将監名跡従是氏横沢伊兵衛之妻保土原圖書行廣女今野祥雲院
守陽大姉是也初生二子長曰傳左衛門行長次曰源左衛門重記往
大津氏之家各菓門孝行者也仍記行完略傳系干法華塔碑陰云

子の行長が父行完を讃えるべく僧性空に起草を依頼して立石したもののようである。系統関係は、「 仙台藩家臣録」(延宝書上)や「伊達世臣家譜」に記載されているものとほぼ同様である。行完の妻( 即ち行長の母)が保土原圖書行廣の女(法名・今野祥雲院守陽大姉)であると記されているところが新 しいところであろうか。但し、「幸島助左衛門」が「幸島介右衛門」、「稲葉美濃守正則」が「稲葉美 濃守正明」、「伝左衛門」が「伝右衛門」になっているのは写しの際の間違えのように思われるが、実 物で確認しないと何とも言えない。

銘文解読や法華塔の歴史的意義について、東北大の平川 新教授にお訊きしたところ、仙台市博物館 に見て貰った方がいいとのことで、過日、銘文拓本写しのコピーや写真を持参して、市史編纂室主事の 菅野正道氏に依頼している。

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