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真成院のこと(宮城県医師会報 2001年12月号)

今年は伊達政宗仙台開府400年という。その氏神神社の一つであり、最古の桃山様式の権現造りで 国宝に指定されている大崎八幡宮の宮司小野目家とは、妻の実家の永沼家と縁続きとなっているので特 に関心を寄せているのであるが、その小野目家の先祖が第3代藩主綱宗の側室であったことは余り世に 知られていないことと思われる。このことは角川書店発行の「宮城県姓氏家系大辞典」(平成6年)で 知ったのであるが、今回帰郷に際し宮城県立図書館でその原典である「伊達世臣家譜」に触れることが 出来た。「伊達世臣家譜」は、藩命を受けて藩儒田辺希文、希元、希績父子三代にわたって編纂した、 一門以下100石以上の平士までの全藩士の系譜を著した正続合わせ65巻の大著であり、原本は仙台 市博物館に所蔵されている。まず、その原文(写真1)を紹介する。

(巻之三、平士の部(其三)四百石以下三百石以上)

一小野目

小野目初称阿部姓欠其先出自阿部善左衛門某 、以善左衛門長女真成院為祖、其裔為虎門番士、今保三百九十石餘七石二斗 之禄、善左衛門伊達之浪士也、寛文四年肯山公初、賜一両四口於其長女、使以仕品川隠公、後得寵幸、 再増俸併前為七十両八口、正徳元年六月隠公薨、剃髪為尼、号眞成院、奉仕凡四十八年、是歳奉命乃請 養子、以俸六十両廩米十二口立家、命小野目氏、養姪善左衛門孫而彦右衛門某子也 以為嗣、稱之丈吉儀清、於是為今之禄、享保二十年三月獅山公末、挙江戸番馬上、儀清子官兵 衛儀孝、延享元年十一月忠山公初奉命學不易流銃術於氏家新兵衛兼信、以極其傳、

また、「伊達世臣家譜続編巻之一二」四百石下三百石以上の項には

小野目官兵衛儀孝儀孝子東吉儀利儀利無子安永九年養石原兵左衛門重明弟四男為嗣称之郷助儀象 儀象子丈吉尚幼其他詳前譜

とあり、その大意を坂田 啓著「私本仙台藩士事典」(増訂版、2001年5月)から引用すると 、

伊達浪人阿部善左衛門娘、寛文四年綱宗に一両四人にて仕える。後寵を得、七〇両八人に増、正徳元 年綱宗歿後尼となり眞成院と称する。奉仕四八年この年甥を嗣子とし六〇両一二人にて立家命にて小野目と称する。

系図:眞成院ー丈吉儀清ー官兵衛儀孝ー東吉儀利ー郷助儀象ー竜三郎儀孟ー運太郎儀應
運太郎、文化七年内海亘に一〇両二人分与する。
諸士版籍:竜三郎 五〇両一〇人
大太郎 八両二歩一〇人

また、前述の「宮城県姓氏家系大辞典」では、

仙台藩家臣に、阿部善左衛門の長女真成院を祖とする小野目家がある。平士。三三一石。善左右衛 門は伊達の浪人で、伊達綱村代の寛文四年に其の長女が品川隠公(伊達綱宗)に仕え、隠公の没後、剃 髪して真成院と称した。その跡は、儀清ー儀孝ー儀利ー儀象(石原重明四男)ー儀孟ー儀應と継いだ。 儀應の養子儀次は、明治四年に仙台の東三番丁新伝馬町丁切根から北へ二軒目東側に住み、嫡子に儀清 がいた(世臣家譜・世臣家譜続編など)。

とあり、この儀次の長女古登が妻の父永沼英一の祖父庄太郎と結婚している。その子六一(即ち英一の 父)は沼田家のふくよと結婚しているが、ふくよの父は大崎八幡神社八代目神官沼田豊前正の子仲で、 その妻は小野目古登の妹文代であるから、六一とふくよとは従兄妹同士ということになる。なお、古登 の弟儀清は文一郎とも言い、ハワイに渡って、初めて日本語新聞を発行した人物である。その間の事情 は関係者の1人である坪井みえ子氏の著書「ハワイ最初の日本語新聞を発行した男」(2000年5月 、朝日新聞社)に詳しい。

綱宗は、2代藩主忠宗と公家櫛笥隆致(くしげたかむね)の娘貝姫との間の子で、貝姫の姉は後水尾 天皇の后で後西天皇の母であるから、綱宗と後西天皇とは従兄弟同士になる。貝姫は綱宗を生んで2年 後に亡くなり、彼は忠宗の正室で徳川家康の孫娘振姫に育てられる。綱宗は19歳で第3代藩主になっ たが、2年後不行跡の理由で蟄居を命ぜられ、50年以上隠居の身で絵画や和歌にその才能を発揮し、 その間真成院は側室の1人として甲斐がいしく仕えたものと想像される。佐々 久監修「仙台の散策  歴史と文学をたずねて」(平成2年)によると、綱宗には正室がなく、そばに椙原 品(すぎのはら  しな)と三沢初子(政岡)の女性二人が仕えたとあって、真成院の名は出てこない。 森鴎外の史伝「椙原 品」によると、品は利口で気骨があり、浪人椙原新左衛門宗範の娘で、万治二年 (1659年)から仕え、のち尼となり浄休院と称し、78歳仙台で没した(その墓は荒町の仏眼寺に ある)というから、真成院と似た境遇の女性がもう1人いたことになる。更に、菊田定郷著「仙台人名 大辞書」(昭和49年)の伊達家系譜を見ると、綱宗には子が18人(実子は16人)いて、その母親 の数は8人、椙原 品の名や真成院の名はない。
単に「家の女房」とあって名前がないものが2人ほどあるので、これらに相当するか、あるいは子供が なかったかどちらかで、少なくとも側室が二人だけということはなさそうである。

真成院の墓は榴岡4丁目の孝勝寺(写真2、3)にあり、ここは日蓮宗のお寺でもと全勝寺といい、 振姫の諡号をとって孝勝寺と改称した。第4代藩主綱村の生母三沢初子が葬られると、大伽藍を有し、 寺領二百余石を与えられた仙台の大寺となった。

そのようなわけで、今年のお盆の日に、その小野目家の墓に一家でお参りをした次第である。

写真1:伊達世臣家譜
写真1:伊達世臣家譜
写真2:孝勝寺
写真2:孝勝寺
写真3:小野目家墓
写真3:小野目家墓

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