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つくばから仙台へー白鳥大明神の祝詞と道祖神(宮城県医師会報 2001年8月号)

この4月筑波技術短期大学附属診療所長を辞して6年振りに故郷仙台に帰り、泉区北中山に「東西ク リニック仙台」と銘打って診療所を開設、その意は東洋医学と西洋医学を融合した統合医療の実践と言 うことである。さて、実家は名取市高柳字下合畑、ここはもと、宮城県会初代議長であった増田繁幸の 屋敷があったところ、大同年間(806ー809年)から続くという本家の祖父、もと東多賀村村長の 丹野甚助が購入したのを父が相続したという。丹野家の先祖は、多田満仲(913ー997)の後裔で 、大同年中坂上田村麻呂東征に従ってきてこの地に土着、初め只野と言い、後丹野と名乗って現在に至 るという。その敷地は3000坪以上あり、その周囲に二重の濠が巡らされ、屋敷地内には日本武尊を 祭る白鳥明神がある。高柳という地名の起りも、尊がこの地に向かわせられたとき、炎天の節なので萱 原の中にあった高木の柳の下に御床入れ(寝所)を作って休息遊ばされたということ、また、尊がこの 地で病気になり、柳で棚を作って平癒を祈ったところ、病が回復したことからおこった地名で、往古は 「棚柳」とも書いたという。当地には尊東征時勧請の多賀神社とその近くに尊が東夷平定を祈ったとい う「皇壇ヶ原」がある(封内風土記、宮城県地名考、閖上風土記など)。丹野家には白鳥大明神の由来 などを建久3年(1192年)に認めた祝詞が伝わっていて、今回帰郷でそのものを見ることが出来た 。これは昔、蔵の古書類を整理して焼却していたときに、突然パーンという強烈な音がして焚き火の中 から飛び出して消滅の難を逃れたという曰く因縁のあるものである。そのコピーをつくばで懇意にして いた在野の郷土史家徳原氏に送って読んで貰った。更に当院看護婦の犬飼さんの御主人が宮城学院大国 文学科の教授なので読んでもらい、不明の部分がほぼ判明した。
以下にその書き下し文を記す。

掛(かけま)くも畏(かしこ)き、謹上再拝、読み上げ奉る。今月今日、神事祝詞(のりと)を敬ひ白 (まを)す。抑(そもそも)陸奥の国名取の郡(こをり)多賀屋並村に鎮(しづま)り座(ま)す大神 、白鳥大明神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と申し奉り、東国の異賊を退治して、□(塚?)止 仙名を取る郡、白鳥之(これ)也。南海道に東海道北陸道に西半月の神所也。我が天下の有主悪神於し く除き神明の清き光を現す。豊葦原の中津奥を平(たひらけ)く名取郡の御座に宮柱太敷(ふとしく) 立て、国の為にぞ成玉(なりたま)う。天津ひつぎ(日嗣)の境の時は、垣は青草をして動かす国の安 きにをらしむ。我が国の人当社の御憐(おんあわれみ)をこうむらざらんやと、諸人(もろびと)奏し 奉るべし。人皇十二代、異賊退治は此の大神の草なぎの宝剣を以てごく(極)敵を草をなぐがごとくに 退治し玉い、今が代にごく敵有る時は現(あらわれ)向ひ、納(おさむる)時は八重羽の剣と成りて国 下を守る白鳥大明神の御徳に依りて万民安らかに住み玉う。故(かれ)曰ふに、一生の主君人たる事、 天神唯一なる。曰ふに国下の鎮守神りんの産(うぶすな)神也。一社の奏伝に本社東に向事いし(石? )神長有り、日本武尊異賊退治の陣所也。皇壇原と伝来す。慎みて怠ることなかれ。正一位白鳥大明神 の神前祝詞奉謹し告ぐ。天下泰平、国土安穏、武運長久、五穀成就、萬民養楽、氏子繁昌、家内安全、 祈願円満、感応成就、神祇神変、神通神力、冥加清浄、神斎神通、神護加持、幸を力め敬い寿ぎを申す 。

人皇八十二代 正宮司□□中務

祝詞

後鳥羽院の御宇御繁栄を祝す。 藤原是院□太夫

建久三年十一月吉日写し伝え秘す祝詞 只野森殿


道祖神

当地に来て近くの実沢に「道祖神」という地名があるのを知り、行って見ると七北田川の支流萱場川沿 いの土手に林があって、「正一位道祖神」と掲げられた鳥居が有り、奥の赤い社の中には本尊の巨大な 男根像が何本も祀られてあった。

泉図書館で「泉 市誌」を借りて調べると、この神社は「幸神社」ともいい、祭神は猿田彦神、祭日は4月8日、10月 9日、実沢村に大昔からあったらしいと記載されている。泉区には他に、古内、朴沢八幡神社裏、上谷 刈(道路神社と改名)などに有ることがわかった。 朴沢のは1メートルほどの自然石で、裏手の懸崖の岩窟にあって容易に近付けない。筑波では双体道祖 神に興味を持ち調べると、双体地蔵はあるが、長野や群馬にあるような男女2体の像は茨城には殆どな く、水戸市中丸地区に1体有るのみ、天下の副将軍水戸光國の宗教政策が厳しかったせいか、あるいは 信仰の流派が違うためか、実はこの宮城も同様に双体道祖神の希薄地域で、宮城と茨城とはいろいろな 点で繋がりがある。

例えば、伊達家のはじまりは下館・中館観音の伊佐(中村)氏で、政宗の時、筑波の吉沼、阿見地区、 竜ヶ崎などに飛び地があり、桜川村の大杉神社の信仰は塩釜など三陸沿岸の漁民に広がり、逆に岩切の 青麻神社の流れが茨城にあり、松島瑞巌寺の中興の祖・法心国師は真壁出身の真壁平四郎であること、 などなど挙げたら切りがない程である。元禄2(1689)年、芭蕉が「道祖神の招きにあひて」と言 って「奥の細道」の旅に出、名取の笠島道祖神や実方中将の墓を訪ねてから300年あまり、21世紀 という新たな世紀を迎えて、実沢の道祖神、そして名取市高柳の白鳥大明神に祈りを捧げつつ、地域医 療への貢献という新たな旅立ちをした次第である。

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